日記・コラム・つぶやき

2011年8月17日 (水)

このまま日本再生のチャンスを逃して良いのだろうか

東日本大震災が起こってからもう5カ月が過ぎた。復興が遅々として進まぬまま、被災地から離れた地域では、徐々に緊迫感が薄れ、国民が皆で一致協力してこの国難を乗り越え新しい日本を作らなければという意識が徐々に風化して行くのが感じられてならない。これで良いのだろうか。

そうした中、15日の終戦記念日に合わせて、敗戦からの復興と今回の大震災および原発からの放射能漏れ事故からの復興を比較して、今回、復興が遅々として進まず、国民の士気も高揚しない原因を考察する議論がTV等で多く聞かれた。その中で、作家の五木寛之氏のコメントは、その他の多くの意見をうまくまとめていたように思う。その言葉を正確には覚えていないが、要点は、第2次大戦では多くの国民が抑圧され、国全体が著しく疲弊したが、敗戦によって国民は少なくとも精神的に解放された。その結果、自分たちの手で明るい未来を作ってゆくのだという活気あふれる雰囲気が国中に漲っていた。それに対して、今回の震災では、特にそれに引き続いて起こった原発事故とそれに対する東電、政府、科学者、マスコミの対応のまずさによって、国中に不信感、無力感が蔓延してしまっている、というのである。

特に、本来、日本という国を引っ張っていくべき企業家、官僚、政治家達が、事実を隠ぺいし、保身や既得権益保護に走り、あるいは現状を正しく把握する能力、問題の本質を抽出する能力に欠如し、今もって国民にこれから目指すべき明るい未来の姿を示す事が出来ない状況が、事態を行き詰らせていると指摘する。更に、良識と見識を以ってそれらを正すべき科学者やマスコミが、その役割をほとんど果たさず、あろうことか、御用学者として事実の隠ぺいや歪曲に係わった者すら少なからず居たという事実が、国民に科学者やマスコミに対する不信感や失望感を与えてしまっているというのである。

こうした指摘は、かなり当たっていると思う。戦後の文科省の方策で、大学の研究者への管理が強まり、サラリーマン化が進むとともに、目先の成果を求める業績主義が横行し、小役人ならぬ小学者ばかりになってしまった。その結果、政治やマスコミの圧力を受けてもぶれずに、全体を俯瞰し、科学のあるべき姿、なすべき事を世間に向かって示せる学者が本当に減ってしまった。科学者の端くれとして、これはなんとかしなければと痛切に感じている。そんな折、友人に教えてもらい、原発事故以来、福島で放射能の除染作業を続けている東大先端研の児玉教授が国会(の何かの委員会)で被災地における放射能汚染の現状とそれに対する国の無策ぶりを具体的に指摘する演説(答弁)をしているビデオを見た。心から憤り、国会を叱咤する学者の姿がそこにあった。日本の学者もまだ捨てたものではない、今からでも遅くないと感じた。科学者として、自分に何が出来るか、もう一度考えてみたい。

2011年6月 4日 (土)

学会の思わぬ効用

私がこのブログを始めるきっかけになった学生の話を初回に書いたが、彼女のブログも、次第に更新頻度が減少し、ここ半年程は、月に一、二回程度しか更新されなくなっていた。更新されなくなると、それを見る側も自然と足が遠のく。私もここ一月くらいチェックせずにいた。そして、先日、久しぶりに見にいって驚いた。ここ数日、毎日の様に更新されているのである。彼女が当初宣言した、一日一本論文を読むと言う「公約」が実行されているのだ。私はすごく幸せな気持ちになった。一体何が起こったのかとブログを読んでみると、先週あった学会で、知り合いに「最近、論文要約のブログが更新されていないね」というような事を言われたのがきっかけのようである。その様に何気なくかけられた一言で、自分が書くブログを見てくれている人がいると改めて気づき、それが励みになったらしいのである。学会には、こういう効用もあるのだと改めて気づかされた気がする。

彼女に限らず、指導する学生が一生懸命研究に打ち込む姿をみると、それだけで幸せになる自分に気付く事がしばしばある。そういう時、改めて教師になってよかったとしみじみ思うこの頃である。

2011年3月19日 (土)

走りながら考えた、今すべきこと、出来ること

今日は南西の風で晴天。原発からの放射能漏れも小康状態なので、多摩川までジョギングに出ることにした。2週間ぶりに20kmを走る。前回、左足の痛みの為に19㎞でリタイアしたので、今回はペースを落としてタイムを見ずに走る。無事完走するも、終盤17km過ぎから左足が少し痛む。癖にならなければよいが。

タイムを気にせずに走ると、景色が良く見えてくる。狛江を過ぎた河原の土手では、黄金色に輝く枯草の中に二人の老人が座り、日向ぼっこをしながらじっと川向うを眺めていた。とても長閑な風景で、今、福島で深刻な原発事故が起こっていることが嘘のようである。この平和な日本の姿を失ってはならないと思う。

今、私たちは何をすべきだろうか?私たちが確実に出来る事は、節電、節水、食べ物の節約、水や食料、ガソリンなどを必要以上買い占めない、情報を慎重に集めて吟味して状況を冷静に把握する、情報は慎重に発信し、流言飛語のもととならない、などだろうか。では、地球科学を学ぶものとして、出来ることは何だろうか?震災が起こって以来考え続けているが、なかなかこれだと言うものは思いつかない。今、心がけているのは、震災に拘わる地球科学的基礎知識、基礎情報を発信することである。また、これから震災からの復興、日本社会の立て直しを担う若者逹を鼓舞激励し、進むべき方向を一緒に考えることも、私に出来ることだろうか。

2010年10月26日 (火)

コカコーラが輝いていた日々

コンビニのガラス張りの冷蔵庫の片隅にコカコーラの赤いペットボトルを見つけた。ペプシネックスの横で脇役のようにそこにあった。ボトルのデザインも、何かあか抜けない。

私が中学生だった1960年代、コカコーラは華やかにデビューした。果汁10%程度の缶入りオレンジジュースが全盛だったそのころ、薄緑色であか抜けたデザインのコカコーラのボトルはモダンなアメリカの象徴だった。放課後のクラブ活動の帰りに、コカコーラを一気に飲み干す姿にあこがれ、それが無上の楽しみだったのを覚えている。ペプシコーラもあったが、コカコーラにはかなわなかった。今思えば、テレビコマーシャルのせいだと思う。TVをつければ「スカッとさわやか、コカコーラ-」というコマーシャルがのべつ流れていた。当時の生活は、今より多様性に乏しかったが、解り易く、価値観も共有しやすかったように思う。あの頃は、コカコーラは輝いていたし、社会も輝いていて張りがあった様に思うのは、私だけだろうか?

2010年8月30日 (月)

ブログ開始

今日からブログを開始する。最近、マルチタスクで仕事をしていて記憶が混線したり、印象に残った言葉や情報を忘れたりが多い。後で思い出す為の、いわば備忘録として使おうと考えている。私が指導する学生に触発されての事である。その学生はブログに、読んで印象に残った論文や聞いて感動した講演の概要や感想、ふと思いついたアイデアなどを書き留めているのだが、端で見ていても結構便利だし、明らかにそれが本人の成長に役立っている。指導する学生に、逆に教えられる事が多い今日この頃である。