学問・資格

2013年9月 5日 (木)

統合国際深海掘削計画(IODP)日本海・東シナ海掘削

 しばらく、ご無沙汰しておりましたが、実は、7月末から2か月間の予定で、日本海及び東シナ海の計8地点を科学掘削する目的で、統合国際深海掘削計画(Integrated Ocean Drilling Program; IODP)による、アメリカの科学掘削船ジョイデス・レゾリューション号(通称JR18000 t)を使った第346次航海(Expedition 346)に主席研究員として乗船しています。現在は、能登半島の西約250kmの地点を掘削している最中です。

今回の航海における掘削の主目的は、日本海堆積物に刻まれた過去の気候海洋変動の記録を解析し、夏の梅雨と冬の木枯らしに象徴される東アジアのモンスーン気候が、何が原因で、いつごろから、どの様に発達してきたか、また、どの様な周期で、どの程度変動してきたかを明らかにすることを目的としています。しかし、実はこうした科学目的に加えて、私にはIODPに対する深い思い入れがあります。

国際的組織による科学目的の深海掘削計画の歴史は古く、その始まりは1960年代までさかのぼります。その初期においてはDeep Sea Drilling ProjectDSDP)と呼ばれ、アメリカが主催し、世界各国の科学者がその計画に参加する形で行われていました。世界各国から著名な研究者がこぞって乗船し、フロンティアスピリットのもと、数々の独創的な研究を主導してきました。例えばプレートテクトニクスの概念の確立にも大きく貢献しましたし、氷期間氷期サイクルが地球軌道要素の周期的変化に起因する日射量分布変動(ミランコビッチサイクル)を反映している事も実証しました。

私が初めて深海掘削計画に参加したのは1989年のJR号を使ったOcean Drilling Program (ODP)127次航海「日本海掘削」で、当時まだ35歳でした。世界各国から参加した20名を超える様々な年齢の科学者たちと、時には熱い議論を戦わせ、時には苦労を分かち合いながら、2か月間衣食住を共にした経験は、本当に忘れがたいものでした。この経験を通じて、科学における、人間同士としての相互理解、協力、信頼、友情と言ったものの重要性を肌身で感じ、海外に多くの友人を得ることが出来ました。

その後、私は、日本海堆積物を用いた古気候・古海洋学的研究に研究の方法性を転じ、2003年にIODPに日本海再掘削計画の申請書を提出しました。そして、10年の年月を経てやっと望みがかない、こうしてJR号に乗って日本海に戻ってきました。その間にJR号は大きく改装して実験室スペース、居住スペースを拡充し、本航海では、10か国から34名の科学者が参加しています。更に24名の科学支援員、60余名の船員を加え、総勢120名を超える人たちが力を合わせて掘削を行っています。

今回の航海のもう一人の主席研究員であるMurray博士は、実は、前回の127次航海の乗船研究員仲間で、彼は当時まだ学生でした。それが24年後の今、今度は主席研究員として、再び一緒に乗船している事には、お互い、感慨深いものがあります。乗船準備や乗船者の人選は、1年以上前から始まりましたが、二人は、「様々な国から来た、様々な分野、様々な世代の研究者達が、互いに協力しながら、いかにして一つの大目的を達成させるか、ということを、この航海を通して若い世代に体験させたい」という思いで一致しました。それは、既に始まりつつある全地球的な気候変動や環境危機にかかわる諸問題を解決するには、相互理解と協力の重要性を十分理解した科学者の存在が、今後さらに重要になってくると感じていたからです。

今回の航海には、日本からは私も含め8名の科学者が乗船しています。20代が2名、30代が3名、40代が1名、50代が2名という年齢構成で、若手~中堅の育成を意識した夫人です。航海の様子は、写真付きで、以下のホームページで随時報告していますので、ご覧いただければ幸いです。

 

日本地球掘削科学コンソーシアム:

http://www.facebook.com/JapanDrillingEarthScienceConsortium

2013年3月31日 (日)

「気候変動を理学する」 サイエンスカフェの余韻を本に

 思い返せば、今から2年以上前のことである。日立環境財団に勤める私の高校の同級生が、突然、私の部屋を訪れ、今度財団で、気候変動に焦点を当てたサイエンスカフェをやりたいと言う。しかも、結果だけを派手に取り上げて好奇心を煽るような皮層的議論ではなく、キチンと原理にまで立ち帰って、問題の本質を理解しようとする議論が出来る様なサイエンスカフェをやりたいと言うのである。普段なら迷うところだが、50も半ばを過ぎ、これまで自分がやってきた研究の社会的意味を考えたい、と思っていたところだったので、二つ返事で引受けた。内容は、私が同僚たちの協力を得つつ長年やってきた「地球システム進化学」、「地球史学」、「古気候古海洋学」などの講義ノートから話題を拾い出して構成した。科学好きの一般の方々を対象に、理系選択の高校生~大学教養レベルの読者を想定しつつ、最小限の数式や化学式を使いつつも、専門用語は極力避け、解りやすい語り口を意識しながら毎回準備をした。聴衆は、毎回50名近く集まり、上手いタイミングで、程よい質問をして下さる常連さんも出来て、予想以上に楽しい企画になった。高校の同級生達が毎回きてくれ、カフェの後に慰労の飲み会を開いてくれたことにも、随分元気付けられた。自分の地球環境観にある程度賛同してくれる人がいることも分かり、それなりの自信も付いた。5回のシリーズの最後、2010年の暮れに最終回となったが、これで終わりかと寂しい思いにかられた事をよく覚えている。

 その後、日立環境財団の後押しもあって、サイエンスカフェの講義録を出版する話が湧き上がった。何社からかお誘いがあったが、私の講義録を一番よく読み込み、私が伝えたいと思っていたポイントを一番よく理解してくださったみすず書房にお願いすることにした。

 本を書くと言うのは、本当に大変なことである。日立環境財団で書き起こして下さった講演録があるから何とかなるだろうとたかをくくっていたが、やはり、話を聞くのと書かれたものを読むのは随分異なる。サイエンスカフェでの会話の雰囲気を残しつつ、内容を正確に、かつ解りやすく伝えることの難しさを改めて味わった。みすずの編集者の方のご助力無しには、この本は完成しなかっただろう。また、幾つか細かいところで、私の記憶違いや理解不足による誤りも見つかった。全て十分に理解した上でお話ししたつもりだったが、それでも、実はそうでなかった部分もあった。本を読んで頂けばわかるが、本書は、地学はもちろん、物理、化学、生物学に関係した幅広い内容を扱っている。一つ一つはそれ程難しい内容では無いが、それらが有機的に、複雑に絡み合った話が随所に出てくる。そうした箇所で、厳密な意味での専門分野でないがゆえに見落としてしまいがちな落とし穴が結構あることに気づかされ、出版直前になって、少し不安になっている今日この頃である。

 とは言え、私が長年やってきた研究を通じて、今、社会に伝えたいと思っていることを精いっぱい話し、書いたつもりである。是非、お読み頂き、ご意見、ご批判を頂ければ幸いである。本は、4月初旬にみすず書房から発売予定である。

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2013年3月25日 (月)

Tokinaga et al. (2012) Nature, 491, 439-443. 近年の赤道太平洋でのウォーカー循環の弱化は、東西の海水温分布の変化によっている

“Slowdown of the Walker circulation driven by tropical Indo-Pacific warming”

 

 20世紀を通じて、赤道太平洋におけるウォーカー循環が徐々に弱まっていることは、観測記録から既に示されている。その原因は、一般に、地球温暖化に伴う水循環の弱化と考えられている。しかし、温暖化に伴う表層水温(SST)の空間分布の変化の影響については、これまできちんと評価されていなかった。その原因として考えられるのが、太平洋赤道域におけるSST上昇の空間パターンの復元の不確実性である。これはSSTの測定手法やその空間分布の解析手法が時代と共に変わってきたことに原因があるようだ。本研究では、手法が一貫していて信頼性も高い、バケツによる採水した表層水の直接水温測定データのみを用いて復元を行った。その結果、東赤道太平洋と西赤道太平洋の間の水温差が時代と共に減少してきたことが明らかになった。これは、これまでの再解析データにおいて示された傾向と逆であるが、夜間における海上気温おける傾向とはよく合っている。

 本研究では、こうした赤道太平洋域におけるSST上昇の空間分布パターンの大気循環への影響を評価するため、復元されたSST空間分布の変化を境界条件として大気大循環モデル(AGCM)に与え、その影響の評価を試みた。その結果、ウォーカー循環の弱化が復元されると共に、循環とそれに伴う降水域の位置が、当方にシフトする事がしめされた。これは、均一の温暖化に伴う水循環の弱化ではなくSST上昇の空間パターンの変化が1950-2009年におけるウォーカー循環の弱化の主原因であることを示している。

では、SST分布の変化の原因は何なのか?CMIP5の大気海洋大循環モデルにおいて、地球温暖化に伴って赤道太平洋における東西の温度勾配が小さくなることが示されているものの、その規模は、今回の結果を説明するのに十分ではない。論文では、人為的な要因による燃焼起源のエアロゾルの増加の可能性を指摘しているものの、現時点では解明には至っていないようである。

2013年3月24日 (日)

Parrenin et al. (2013) Science, 339, 1060-1063. 氷期‐間氷期サイクルにおける大気CO2濃度変動の役割

“Synchronous change of atmospheric CO2 and Antarctic temperature during the last deglaciation”

 

 氷期-間氷期サイクルは、人類が進化してきた第四紀(過去258万年間)という時代を特徴づける気候変動である。特に、過去約80万年間の氷期-間氷期サイクルは、約10万年の周期で繰り返し、その振幅は平均気温で5℃以上、大陸氷床の拡大に伴う海水準変動で120mに及ぶ。氷期‐間氷期の繰り返しは、地球軌道要素(公転軌道離心率、地軸の傾動、地軸の歳差運動)の周期的変化が引き起こす地球への日射量の緯度分布や季節分布の変動(いわゆるミランコビッチ・サイクル)に起因することが、既に明らかにされている。しかし、そうした地球軌道要素に伴う日射量の変動は、地球全体が年間に受ける日射の総量をほとんど変化させないため、古気候記録に示されるような、氷期-間氷期サイクルに伴う全球規模の大きな気温変動を引き起こすためには、地球の気候システムに内在する何らかの増幅過程が必要となる。しかしながら、こうした日射量変動がどの様にして増幅されるのか、そのメカニズムは未だに完全には解明されていない。そして、それを解くカギは、氷期から間氷期への移行過程において、何がどういう順番で変化していたのかを知ることにあると考えられている。

 南極の氷床コアが保持する古気候記録は、この問題の解明に繋がる重要な情報を与えてくれる。これまでの研究で、氷期から間氷期への移行期(融氷期と呼ばれる)における氷床の融解より数千年先行して、南極の気温および大気中のCO2濃度の変化が起こっていた事が明らかにされており、更に、Monnin et al. (2001)の研究により(少なくとも最終融氷期においては)南極の気温の上昇が、CO2濃度の上昇に数百年先行していたとされていた。これに対し、本研究は、より厳密な対比を行い、南極の気温がやや先行しているようにも見えるが、むしろ、両者は誤差(100年程度)の範囲で同時であり、強くカップリングしていると見るべきだと主張している。

 氷床コアの記録において、南極の気温の指標には氷の水素同位体比が用いられており、一方、大気中のCO2濃度は、氷に含まれる気泡に保持された大気の分析値を用いている。ここで、両者の時間差の評価に誤差が生じるのは、氷の水素同位体は、その層準が地表にあった時の降雪の水素同位体比を記録しているのに対して、気泡は、氷床表面下50120m位のところで、圧密で気泡が閉じた時点での大気のCO2濃度を記録しているためである。従って、気泡が閉じる深度(Lock-in DepthLID)をどのくらい正確に推定するかが、時間差の推定誤差を小さくするカギとなる。本研究では、気泡中のN2の窒素同位体比を利用してLIDをより正確に推定した。気泡が相互に通じているLIDより浅い部分では分子拡散により同位体分別が起こり、LIDの深さに比例してN2の窒素同位体比は増大する。この性質を利用してLIDを推定したのである。LIDは、積雪速度や雪の圧密速度など様々な要因で変化する。本研究では、LIDを各層準ごとに細かく推定し、その時代変化を考慮することで、同一層準における気温とCO2濃度記録の時間差をより正確に推定した。

本研究におけるもう一つの工夫は、南極全域をカバーする5地点での気温データを重ねて平均化することにより、南極気温変動データのノイズを著しく小さくしたことである。この結果、気温とCO2濃度の時間差の推定誤差を90160年にまで抑えることが出来た。これを基に、最終融氷期(21万年前)における気温とCO2濃度の変化を比較した結果、誤差の範囲で両者の変動のタイミングが一致していたことが示された。また、両者の変動が相関係数0.99以上で相関している事も示された。これらの結果は、どちらかと言えばわずかに気温が先行しているものの、南極の気温と大気中のCO2濃度が強くカップリングしていることを意味する。一旦変化が始まると、両者間の正のフィードバックにより、変化が増幅されて大きくなってゆくのである。 

本研究の結果は、氷期から間氷期への変化において、どこにおけるどういう変化が融氷期のきっかけとなったのか、という問題の答えを与えるには至っていない。しかし、南極における気温あるいはそれに直接的に影響を与える海氷分布や表層水における鉛直混合の変化が引き金になっている可能性を強く示唆している。これが本当なら、氷期間氷期サイクルが北半球高緯度域における夏の日射量変動により引き起こされている、つまり、北半球高緯度における変化が引き金になっている、とするミランコビッチの仮説に基づいたこれまでの考え方を修正する必要があるかもしれない。

 

2012年10月28日 (日)

Elderfield et al. (2012) Science, 337, 704-709. 氷期-間氷期サイクルの周期は、いつ、どの様に変わったのか?

"Evolution of ocean temperature and ice volume through the Mid-Pleistocene Climate Transition"

 

 現在、私たちは、約3400万年前に始まった地球史の中で最も新しい氷河時代の中にいる。氷河時代は、しばしば、寒冷化して氷床が拡大した氷期と、相対的に温暖で氷床が縮小した間氷期の繰り返し、いわゆる氷期-間氷期サイクルで特徴づけられる。そして現在は、約300万年前の北半球氷床の出現で始まり、それが拡大する過程で顕在化した氷期-間氷期サイクルの中の最も新しい間氷期(後氷期と呼ばれる)に当たる。

氷期-間氷期サイクルは、地球軌道要素の変化(地球の公転軌道の離心率変化や自転軸の傾きの変化、そして公転軌道に対する自転軸のゴマスリ運動)によって引き起こされる日射量の緯度分布および季節分布の準周期的変動(一般に、ミランコビッチサイクルと呼ばれる)が、地球システム内で増幅されることによって引き起こされている。氷期-間氷期サイクルがミランコビッチサイクルに同調している事は既に周知の事実で有るが、今から約125万年前以前には、およそ4万年の地軸傾動周期に同調していた氷期-間氷期サイクルが、およそ70万年前以降はおよそ10万年の離心率変動周期に同調するようになった事は、専門家以外には余り知られていない。この周期の変化は、更新世(Pleistocene:258万年前-約1万年前)の只中に起こったため、MPT(Mid Pleistocene Transition)と呼ばれており、その原因や変化の詳細を明らかにする事は、ミランコビッチサイクルがいかにして氷期-間氷期サイクルを引き起こしたかと言う、未解決の大命題を解く上での重要な手掛かりを与えてくれると期待される。

 MPTについては、これまで、「底生有孔虫と呼ばれる海底に棲む単細胞生物の石灰質な殻の酸素同位体比が主に海水の同位体比を反映し、海水の同位体比は大陸氷床の体積(=海水準)を反映する」との仮定のもと、世界の色々な海域から報告された底生有孔虫殻の酸素同位体比の変動を重ね合わせて平均化したデータに基づいてその特徴が議論され、125万年前から70万年前にかけて、氷床が徐々に大きく成ると共に、4万年周期が10万年周期に置き換わって行ったと言われている。これに対して著者らは、底生有孔虫殻の酸素同位体比は、海水の同位体だけでなく殻を沈殿させた時の水温の影響も受けるので、氷床体積の指標としては不完全であると指摘している。そして、南太平洋ニュージーランド沖の水深3290mの深海底から回収された掘削コアから分取された合計1485個の試料中の底生有孔虫殻について、酸素同位体比と同時に水温の指標であるMg/Ca比を測定し、殻が酸素同位体を取り込む際の水温の影響を取り除くことにより、海水の同位体比の変動を過去150万年間に渡って復元した。

 復元結果は、従来の考えを覆すもので、数々の示唆に富んでいる。即ち、氷床体積の変化は、従来言われていたように数十万年かけて徐々に起こったわけではなく、95万年前から87万年前の8万年間で急激に起こった事が明らかになった、一方、底層水温の変動様式は、氷床コアに記録された南極の気温の変動様式とよく似ており、南極の気温を反映している事を示唆している。そして、氷期極相期の水温は-1.7℃前後と低く、過去150万年間余り変化が見られない事が示された。一方、間氷期の深層水温は、45万年前以前には、1℃弱低かった。更に面白いのは、間氷期極相期直後の深層水温低下は、氷床体積増加に先行しており、間氷期から氷期に向かうプロセスの前半では、主に水温低下が有孔虫殻の酸素同位体比増加に寄与しており、後半は、主に氷床体積の増加が寄与している事である。そして、少なくとも研究された地点においては、深層水温の変化が有孔虫殻の酸素同位体比変動の半分近くを説明している。

 著者らは、更に、何がきっかけで、MPTで氷床体積急増が起こったかについても考察している。即ち、酸素同位体比ステージ24で氷床が成長した後、ステージ23で氷床が余りほとんど融けなかった事が、次のステージ22で更に氷床を拡大させることになったと主張し、同位体ステージ23で氷床が余り融けなかった原因は、この時に、南半球高緯度域の夏の日射が余り上昇しなかったからだと論じている。(そして、筆者はあまり注目していないが)それは、40万年周期で離心率が極小になった時期と一致している。)この解釈は、南半球高緯度の夏の日射量変動が、氷期-間氷期サイクルに影響を与えているという主張を含んでいる点でも重要である。それは、現在、氷期-間氷期サイクルのペースを決めているのが、ミランコビッチが提唱したように北半球の夏の日射量なのか、それとも南半球の日射量なのかで盛んに議論が戦わされているからである。

 Elderfieldは、70歳に近い研究者であるが、未だにNature Scienceなど、トップレベルの雑誌に論文を書き続けている。そのアクティビティーの高さには、恐れ入るばかりである。

2012年6月30日 (土)

Martin-Puertas et al. (2012) Nature Geo, 5, 397-401. 太陽活動が大気循環を変化させた?

"Regional atmospheric circulation shifts induced by a grand solar minimum"

太陽活動と気候変動の関係については、特に古気候学者を中心に、昔から言われ続けているが、両者をつなぐメカニズムが十分に明らかにされず、パターン合わせに終始した研究が多い。その為、中々気象学者らの納得を得られずにいる。また、変動のタイミングや位相関係の検証が不十分であることも支持を得られない原因である。

この論文は年縞により詳細な時間メモリが入った湖堆積物を用いて、風の強さの指標と考えられる年縞の厚さと太陽活動の指標である10Be堆積速度の変化を3300年前~2000年前について調べ、Homeric Minimumと呼ばれる太陽活動極小期(27502550年前)に、10Beフラックスの増加とほとんど同時に年縞の厚さが増大したことを示した。年縞の厚さは珪藻の繁殖に起因し、強い風によって湖水が混合されることにより栄養塩が有光層に湧昇したことによると解釈すると、太陽活動の低下とほとんど同時に調査地域における卓越風の強さが増大したことを意味する。この地域の冬の卓越風の強さは、北大西洋振動(NAO)に支配されることから、筆者らはNAOの負のフェーズでのストームトラックの南下を意味すると解釈し、その結果は観測やモデルから推測されるヨーロッパ地域における太陽活動の影響とも調和的である事を示している。そして、太陽活動に伴う紫外線の変化がオゾン濃度の変化を引き起こし、それが温室効果の程度を変えることを通じて大気循環の変動を引き起こしたとする、いわゆるトップダウンの過程に起因する証拠であると主張している。

 複数の高時間解像度の古気候データを同一の記録媒体(年縞堆積物)から取り出し、位相関係を10年程度の高い時間解像度で議論した事、その結果を、定性的にではあるが観測データやモデル結果により検証した点が新しいといえるが、使っている気候指標の評価がかなり甘いと言わざるを得ない。アイデア先行の予定調和的論文と言えるだろう。

2012年6月18日 (月)

「文明と環境」研究の新しいうねり

週末に地球研で行われた気候変動と文明の盛衰に関する文理融合型シンポジウムに参加して、久々に面白く、胸踊る議論を楽しんだ。実は、およそ20年前に、当時、日文研に居られた梅原猛さん、安田喜憲さんらが主導する重点領域研究「文明と環境」に参加していたのだが、その頃のワクワク感を思い出した。当時は、文明の発達や崩壊と言った人間社会における現象の原因は、社会自体に内在する原因に起因するものと考えられており、環境の変動が社会構造やその変化に影響を与えると言う考え方は「環境決定論」と呼ばれて忌み嫌われていた時代だった。(それは、地質学において「斉一説」が崇拝され、隕石の衝突により生物が絶滅するなどという説は、ご都合主義の「天変地異説」だと言って取り合わなかった時代が続いたことと似ている)この状況に風穴を空けたのが、梅原さんや安田さん達であった。それから20年余り、こうした議論からは遠ざかっていたのだが、今回、機会があってシンポジウムに参加し、このテーマをめぐる現状や諸問題に関して、特に文系の若手~中堅の研究者の方々の話を聞くことができた。それによると、2000年台に入って膨大な古気候データを背景に理系の研究者を中心に展開された、気候環境変動が文明の盛衰を引き起こしたとする議論の影響は文系研究者にまで及び、2000年代はいわゆる「環境決定論」が席巻した時代であった様である。それにより、もはや環境変動が社会構造に全く影響しないと主張する文系の学者は居なくなったようであるが、一方で、理系研究者達の議論は、どうもタイミングやパターン合わせに終始し、文明の繁栄や崩壊のプロセスやメカニズムにほとんど立ち入って居ないように感じる。また、全ての原因を環境変動に求めようとする環境決定論的姿勢が強すぎ、社会構造や文化、文明の特性に内在する原因を無視した議論が展開される事に彼らも違和感を抱いているようだった。シンポジウムに出席された文系研究者がリベラルで環境変動が文明に影響するという考え方を積極的に受け入れる方々であった事もあるのだろうが、環境変動の影響を積極的に受け入れると共に、その社会への影響を具体的に記述し、定量的に評価することを通じて、環境変動以外の原因を洗い出そうとする考え方や研究姿勢が明確に示された事には、新鮮さを感じると共に、新たなうねりを予感させた。

2012年3月 7日 (水)

Elser and Bennett (2011), Nature, 478, 29-31. リンの生物地球化学的循環破綻が招く2重の危機

"A Broken biogeochemical cycle"

 

 ここで紹介するのは、昨年10月のNature3ページにわたるコメントとして掲載された、生物の必須栄養素であるリンの資源としての枯渇危機に関する解説の要約である。その地球化学物質循環を理解し、それを政策に反映させることの重要性が、解りやすく説明されている。

 

肥料や洗剤の成分として用いられるリンの土壌から河川や湖沼、海洋への一方的流出は、水質汚染や富栄養化、沿岸域底層水の無酸素化による沿岸生態系破壊などを引き起こす一方で、その埋蔵量は限られており、その消費速度は、2030年頃にピークを迎えた後、減少する事が予想されている。肥料としてのリンの代替物質が存在しない事から、その採掘による枯渇は、深刻な問題である。

 リンの供給面での不安はそれだけではない。その主要供給国が、必ずしも政治的に安定でない北アフリカに偏在しており、モロッコを筆頭とした上位3か国が、その埋蔵量の85%以上を占めている事も、大きな懸念材料である。実際、レアアース元素と並んで、アメリカ合衆国にとっての「戦略的物質」に加えられるかもしれない。

 こうした問題解決のカギは、リンの効率的利用やリサイクル方の開発にある。2005年に、およそ1750万トンのリンが採掘され、そのうち1400万トンが肥料として使われた。(それ以外の用途は、洗剤や家畜の飼料である。)しかし、そのうち800万トンは、浸食、溶脱により川や海へと流出し、作物となった400万トンのうち100万トンは、ごみとして捨てられる。結局、人間の口に入るのは、300万トンに過ぎない。(200万トン分、計算が合わないが、畑に滞留しているという事か?)これでは、使用した肥料の8割は、食糧生産に使われず、流出したことになる。

 この状況を改善する手段として、し尿からのリンの再利用効率を、現在の10%から、もっと高める方法がある。これは、同時に衛生環境の改善にもつながる。もう一つの手段として、農作物や家畜の育成に要するリンの量を減らす方法がある。手っ取り早いのが肉食から菜食への転換であるが、その実現は困難だろう。より現実的な手段として、作物や家畜の品種改良によるリンの消費量の削減があるが、それらは、実験段階あるいは政府の認可待ちの段階にある。

 こうした施策を効果的に進めるには、農地、湖沼、沿岸域といった各サブシステムにおけるリンの貯蔵量とサブシステム間のフラックスのより正確な把握が不可欠である。これを促進するために、世界リンネットワーク(Global Phosphorus Network)が組織され、2010年には、科学者、企業、行政を結ぶ持続可能なリンの管理コンソーシアムが生まれた。しかし、その活動は、国際政治レベルではまだ浸透していない。この動きを加速するには、リン、窒素などの栄養物質の持続的利用に関する国際的な科学および政策研究センターを設立する必要がある。そして、例えばリン排出市場(CO2のような)あるいは国際戦略的リン備蓄などによるリスク分散を検討すべきである。

2012年2月18日 (土)

やっと終わった論文審査シーズン:終わった後に思うこと

一月から二月の初めにかけては、卒論、修論、博論の最終発表、審査のシーズンである。今年は、私の指導学生の中では、卒論が一人、博論が一人いるだけで、しかも、二人とも比較的手が掛らなかったのだが、他の学生の論文審査、発表審査が多く回ってきた。論文審査したのは、卒論4編、修論4編、そして博論が5編である。卒論でも1編読むのに45時間、修論になると1日から2日、博論では2日~1週間かかる。平日は、通勤の往復や帰宅後の12時間くらいしか時間が取れないので、週末はほとんど査読に充てざるを得ず、しかも、その状態が一か月以上続くのである。他の論文を読んでいる暇は、全くない。

論文を読むと、その学生が、自発的に一生懸命研究を行ってまとめたものか、指導教員に言われたことを受動的にやり、修正、加筆された通りに書いたものかすぐ分かる。学生が熱中して研究し、その結果を自力でまとめた論文は、読んでいても楽しい。博士論文になると、面白くて読みふけってしまうものも時々ある。今年度も、そのような博士論文が1編あった。書いた学生は、扱ったテーマの意義を的確に理解し、そのテーマに関する研究が現在どこまで進んでいて何が残された重要問題かを抽出するために、膨大の量の論文を読み、膨大な時間をかけてそれを体系的にまとめたことがよくわかる。そして抽出した重要問題を解決するために、ち密で徹底的な計画を立て、それを11つ丁寧に実行しているのである。論文を読んでいて、興味ある事実、不思議な結果に私が気付くと、決まって次の節でその事が指摘され、謎の解決がなされている。ちょうど推理小説を読んでいるような面白さを感じさせるのである。論理展開のシャープさ、エレガントさ、問題の徹底追及への姿勢を感じさせる重厚な論文だった。こういう論文にあたると、救われた気持ちになる。

一方、修論の発表審査会では、29件もの発表を聞く羽目になった。1件の発表が30分以上だから、ほぼ丸2日聞きっぱなしという事になる。何件か演習のレポートレベルの修論発表があったのは論外として、~10年前に比べて、発表技術は高くなったように思うが、テーマがコンパクトになり、こじんまりまとめられた論文が多くなった様に感じた。丁度プラモデルの様に、既に用意されていた部品を設計図に沿って組み立てて、完成させた作品の様な修論が少なからずあったのである。以前は、完成度は必ずしも高くなかったが、想像力豊かで奔放な論文がもっと多かったように思う。そして、そういった論文を書いた学生たちは、卒業後、優秀な研究者になっている例が多い。

こじんまり化の原因の一端は、大学教育に対する国の方針にあるように思える。国際化を焦るが故か、派手で目立つ研究ばかりを重視し、時間をかけて積み上げた研究、ち密で重厚だが派手さのない研究を冷遇している。その結果、見た目が派手で、結果がすぐ出る研究分野に若者が誘導されている。こうした傾向は、基礎研究の分野にまで及んでいる。大学での研究・教育に効率や短期間で結果を出すことを求め、研究能力をその中身をろくに見ずに論文の数や引用数だけで評価する風潮が、理学の分野にまで広まりつつある。

話は少し飛ぶが、今回の震災に伴う原発事故やその後の対応の混乱、無策も、「専門家」が手に入りうる情報をしっかり集めてその本質を理解することをせず、周囲の状況に流されて問題を見過ごしたり、事故後に自分の研究分野の擁護を優先する行動を取ったことが、大きく影響している。そしてそれが、国民の、科学や科学者に対する懐疑心や失望を引き起こしている。基礎科学は、短期的な社会利益に直接つながらない分、問題を俯瞰的、客観的に見ることができる分野である。今こそ、基礎科学の重要性を再認識するとともに、基礎科学者の役割や心構えを正しく認識した人材を育成すべき時だと、改めて感じた。

2011年12月23日 (金)

Lunt et al. (2011) Nature Geo, 4, 775-778. 始新世の温室世界に於いてガスハイドレート崩壊の繰り返しを制御したメカニズム

"A model for orbital pacing of methane hydrate destabilization during the Paleogene"

古第三紀の前半は、白亜紀を特徴づけるいわゆる温室世界が継続した時代で、二酸化炭素濃度は1000ppmを超えていたと推定されている。特に、およそ5600万年前の暁新世/始新世境界(PETMと呼ばれる)では、ガスハイドレートの崩壊によるメタン放出に起因する急激な温暖化が起こったと言われ、現在進行しつつある人為起源の地球温暖化に最も近い事例として注目を浴びている。著者の一人、Jim Zachosは、白亜紀から古第三紀にかけての古環境変動研究の第一人者で、PETM(温暖化と炭素同位体比の負のシフトで特徴づけられるイベント)の発見者でもある。そして、最近、それに類似した、しかし、規模が小さいイベントがPETMの後に繰り返し発生した事を見出して、再び注目を集めている。この論文では、PETMに類似したイベントの繰り返しが、偶然ではなく必然であった可能性を、「気候モデルを用いて境界条件を変える事により急激な変化が起こる閾値を探り、その結果を元に想定されるメカニズムの妥当性を検証する」と言う研究手法で行っている。Zachosらのグループは、PETMに続いて、その約200万年後にELMO、更にその120万年後にXと呼ばれるイベントがあったことを既に報告している。そして、それら一連のイベントに於いて、ガスハイドレートの崩壊規模を反映すると考えられる炭素同位体比の負のシフトの振幅が次第に減少するとともに繰り返しの頻度が増す、と言う特徴が見られる事、ダブルイベントと呼ばれる、10万年の間隔を置いて小振幅の炭素同位体比の負異常が現れる現象が見られる事、などもすでに報告している。従って、想定するメカニズムを検証しようとするモデルは、これらの特徴を説明する必要がある。

先にも述べた様に、PETMの原因については、ガスハイドレートの崩壊に伴ってメタンが大量に放出し、それが酸化してCO2と共に急激な温暖化を引き起こしたと言う説が最も有力であるが、ガスハイドレートの崩壊を引き起こした原因については、必ずしも解明されていない。一方、最近のサイクル層序学的研究によれば、PETM, ELMO, Xなどのイベントは、全て10万年の離心率周期で離心率が最大になった時に起こっている。この観察が正しければ、ガスハイドレートの崩壊による急激な温暖化イベントのタイミングは、天文学的周期に規定されていることになる。この時期には、大陸氷床が存在しなかったことから、どういう増幅機構によって、地球軌道要素の変化が、この様に急激な温暖化イベントの繰り返しを引き起こしたのか、も問題となる。

問題となる増幅機構をさぐるために、この論文では、大気‐海洋結合大循環モデルを用いて、当時の境界条件の元、大気二酸化炭素濃度を現在の2倍および4倍の状態で、それぞれ地球の公転軌道の離心率が最小の場合、最大でかつ北半球の夏の日射量が最大になる場合、最大でかつ南半球の夏の日射量が最大になる場合、そして現在の軌道の4通りについて、特に海洋循環に着目しつつ、気候復元を行った。その結果、特に、離心率が最小の状態から南半球の夏の日射量が最大になる軌道配置に移行する時に、南半球における深層水の形成が著しく抑制されることが解った。これは、二酸化炭素濃度上昇による表層-中層にかけての水温上昇が原因である。中層水温の上昇は2℃以上に及び、大陸棚斜面上部の水深に広く分布するガスハイドレートを崩壊させるに十分である。

この様に、地球軌道要素の変化による日射量変化が、海洋循環の変化を通じて大規模なガスハイドレートの崩壊を引き起こす可能性が示されたので、次に、閾値モデルを用いて、先に述べた地質学的観察事実を上手く説明する事を試みた。先ず、バックグラウンドとして大気中二酸化炭素濃度が徐々に上がってゆく条件の上に地球軌道の離心率変動の影響を乗せてフォーシングとした。そして、中層水は、バックグラウンドフォーシングには線形に応答するが、フォーシングがある閾値を越えると急激に昇温する様にした。一方、海底下のガスハイドレート貯蔵量は、中層水温に比例して減少するが、急激な昇温が有ると一気に崩壊し、一旦貯蔵が尽きると回復には50万年の時間を要する事とした。そして、地球の平均気温は、バックグラウンドフォーシングとして与えた大気中二酸化炭素濃度の上昇と放出されたメタンによる温室効果で決まるとし、メタンは2万年で酸化分解するとした。こうした条件の元で行ったモデルシミュレーションの結果は、先に説明した地質学的観察事実と良くあっており、想定されたメカニズムの妥当性を支持する。ただし、一連のイベントの原因としてガスハイドレートの崩壊以外の可能性を否定しているわけではないと最後に述べて締めくくっている。

想定しているメカニズム自体は従来から言われていたものだが、地球軌道要素の変化が深層水循環の変化と中層水温の上昇を引き起こし、それがガスハイドレートの崩壊を誘発しうる事を、モデルを用いて具体的に示した点が新しい。また、温暖化に伴う中層水温の上昇に連れて、ガスハイドレートの貯蔵可能量が減少するというのも、注目をすべきポイントである。ガスハイドレートの大規模な崩壊が頻発しやすい気温条件がある可能性を示唆しているからである。

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