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2013年5月25日 (土)

「図書館戦争」近い将来の日本社会を暗示していると考えるのは、考え過ぎ?

もう3週間前になるが、連休にどこにもいかなかったので、5日に家族3人で「図書館戦争」を見に行った。どちらかと言えば、原作を読んでいた妻と息子が勧めるのでしょうがなく、と言った感じで行ったのだが、予想に反してかなり面白かった。話の筋は単純で、「公序良俗に反する、所謂俗悪本に触発されて凶悪犯罪が多発したことをきっかけに、そうした本の規制が始まり、それが表現の自由の規制、本を読む(知る)権利の規制へと広がってゆく。そして、図書館が、図書館法を盾に表現の自由や知る権利を護る最後の砦となり、それを守る組織として結成された図書隊と政府(権力)側の部隊との死闘が始まる。その過程での図書隊隊員たちの表現の自由や知る権利を護る強い思いや、権力側の、「公序良俗を護る」と言う美命の裏に隠されたどす黒い思惑を描く」と言う内容である。おおよそあり得ない設定なのだが、一見世のためになるように見えるほんのちょっとした法改正が、世の流れを大きく変えてしまい、元に戻る術もなく、社会が危険な方向へと暴走してゆく様子が解り易く描かれている。

 

折しも憲法改正論議が巻き起こり、第二次世界大戦における日本の行為に対する歴史認識を修正しようとする動きが急に顕在化してきた。いわゆる村山談話の背景や、近隣諸国を含めての歴史の共通認識確立への地道な努力を知ることなく、個人的心情のみに基づき、他国の挑発に乗る形で、十分に議論することもなく安易に法律を変えようとする政治家の態度や、それに無関心、あるいは余りに鈍感な今の若い世代に不安を感じていた時期でもあったので、この映画が、こうした日本の若者達に、表現の自由や、知る権利を規制する権利を施政者に与える事の怖さを教えることを意図して制作されたのではないかとつい勘ぐってしまった。私の考えすぎだろうか?

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