« ロボジーとリアル・スティールに思う、今庶民が求めるもの | トップページ | Elser and Bennett (2011), Nature, 478, 29-31. リンの生物地球化学的循環破綻が招く2重の危機 »

2012年2月18日 (土)

やっと終わった論文審査シーズン:終わった後に思うこと

一月から二月の初めにかけては、卒論、修論、博論の最終発表、審査のシーズンである。今年は、私の指導学生の中では、卒論が一人、博論が一人いるだけで、しかも、二人とも比較的手が掛らなかったのだが、他の学生の論文審査、発表審査が多く回ってきた。論文審査したのは、卒論4編、修論4編、そして博論が5編である。卒論でも1編読むのに45時間、修論になると1日から2日、博論では2日~1週間かかる。平日は、通勤の往復や帰宅後の12時間くらいしか時間が取れないので、週末はほとんど査読に充てざるを得ず、しかも、その状態が一か月以上続くのである。他の論文を読んでいる暇は、全くない。

論文を読むと、その学生が、自発的に一生懸命研究を行ってまとめたものか、指導教員に言われたことを受動的にやり、修正、加筆された通りに書いたものかすぐ分かる。学生が熱中して研究し、その結果を自力でまとめた論文は、読んでいても楽しい。博士論文になると、面白くて読みふけってしまうものも時々ある。今年度も、そのような博士論文が1編あった。書いた学生は、扱ったテーマの意義を的確に理解し、そのテーマに関する研究が現在どこまで進んでいて何が残された重要問題かを抽出するために、膨大の量の論文を読み、膨大な時間をかけてそれを体系的にまとめたことがよくわかる。そして抽出した重要問題を解決するために、ち密で徹底的な計画を立て、それを11つ丁寧に実行しているのである。論文を読んでいて、興味ある事実、不思議な結果に私が気付くと、決まって次の節でその事が指摘され、謎の解決がなされている。ちょうど推理小説を読んでいるような面白さを感じさせるのである。論理展開のシャープさ、エレガントさ、問題の徹底追及への姿勢を感じさせる重厚な論文だった。こういう論文にあたると、救われた気持ちになる。

一方、修論の発表審査会では、29件もの発表を聞く羽目になった。1件の発表が30分以上だから、ほぼ丸2日聞きっぱなしという事になる。何件か演習のレポートレベルの修論発表があったのは論外として、~10年前に比べて、発表技術は高くなったように思うが、テーマがコンパクトになり、こじんまりまとめられた論文が多くなった様に感じた。丁度プラモデルの様に、既に用意されていた部品を設計図に沿って組み立てて、完成させた作品の様な修論が少なからずあったのである。以前は、完成度は必ずしも高くなかったが、想像力豊かで奔放な論文がもっと多かったように思う。そして、そういった論文を書いた学生たちは、卒業後、優秀な研究者になっている例が多い。

こじんまり化の原因の一端は、大学教育に対する国の方針にあるように思える。国際化を焦るが故か、派手で目立つ研究ばかりを重視し、時間をかけて積み上げた研究、ち密で重厚だが派手さのない研究を冷遇している。その結果、見た目が派手で、結果がすぐ出る研究分野に若者が誘導されている。こうした傾向は、基礎研究の分野にまで及んでいる。大学での研究・教育に効率や短期間で結果を出すことを求め、研究能力をその中身をろくに見ずに論文の数や引用数だけで評価する風潮が、理学の分野にまで広まりつつある。

話は少し飛ぶが、今回の震災に伴う原発事故やその後の対応の混乱、無策も、「専門家」が手に入りうる情報をしっかり集めてその本質を理解することをせず、周囲の状況に流されて問題を見過ごしたり、事故後に自分の研究分野の擁護を優先する行動を取ったことが、大きく影響している。そしてそれが、国民の、科学や科学者に対する懐疑心や失望を引き起こしている。基礎科学は、短期的な社会利益に直接つながらない分、問題を俯瞰的、客観的に見ることができる分野である。今こそ、基礎科学の重要性を再認識するとともに、基礎科学者の役割や心構えを正しく認識した人材を育成すべき時だと、改めて感じた。

« ロボジーとリアル・スティールに思う、今庶民が求めるもの | トップページ | Elser and Bennett (2011), Nature, 478, 29-31. リンの生物地球化学的循環破綻が招く2重の危機 »

学問・資格」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/564454/54013602

この記事へのトラックバック一覧です: やっと終わった論文審査シーズン:終わった後に思うこと:

« ロボジーとリアル・スティールに思う、今庶民が求めるもの | トップページ | Elser and Bennett (2011), Nature, 478, 29-31. リンの生物地球化学的循環破綻が招く2重の危機 »